沖縄県立普天間高等学校:30期 掲示板

No.4 「ふるさと沖縄最高!懐かしい心温まる思い出…」

2014/03/22(土) 12:46 - 3年13組 組 安里 吉隆 ()
福岡に転勤してきて早2年が経ちました。毎週のように九州各地や山口まで飛び回り、目の回るような毎日ですが、本当に充実しています。

九州の自然は本当に美しく最高です。今太宰府天満宮の近くに住んでいますが、太宰府政庁後の満開の梅は、この世のものとは思えません。もう少しで、桜もやがて見頃になるでしょうが、カレンダーの中でしか見たことのないような光景が桃源郷のように広がり、身も心も癒やされます。

自然だけでなく、人も沖縄に似て最高です。小さなコンビニのおばちゃんたちは、特に沖縄の親切なおばちゃんたちに似ています。そんな親切な人々に出会う度にふるさと沖縄を思い出します。

2年半ぶりにこのサイトを覗きながら、心に思い浮かぶ懐かしい心温まる出来事を交えて思いを記したいと思います。


私が幼い頃、宜野湾市野嵩にある実家の前には、美しい一本松のある泉の方向に向かって緩やかな長い坂がありました。

カトリック教会のハイビスカスでできた垣根のそばを南に伸びる、緑に囲まれたとても風情のある坂でした。私たちにとって幼い頃のたくさんの思い出が詰まった本当に懐かしい、郷愁を感じさせる特別な坂道です。

ある暑い夏の日の午後の光景が目に浮かびます。

当時では珍しい白い半袖のワイシャツに棒ネクタイ、薄いグレーのズボンにシルクハットのような帽子をかぶったオジーとハワイのムームーにも似た沖縄独特の生地柄でできたワンピースの服に身を包み、白髪を丸く結い上げたカンプー頭のかわいいオバーが、二人とも杖をつきながら坂道をゆっくりと登っていきます。

アスファルトのまだ敷かれていないでこぼこ道は、夏の午後の日差しに真っ白に輝き、目も開けられないほどの照り返しです。

所々木々や特に枝を張ったリュウキュウマツの枝で涼しげな木陰も点在するその坂は、頂上手前で急に険しくなります。

そこにさしかかる頃、オジーはおもむろに右手の杖を左手に持ち替え、右手でオバーの左手を取り優しく引き始めました。

互いに手を取り、互いを気遣い合いながらゆっくり登っていく様子は本当にほほえましく、幼い私たちの心にとてもさわやかな印象を残しました。

大きくなって結婚して、どんなに年を取ってもあのオジー・オバーのように仲のよい夫婦になれたらいいな、と思いました。


恵まれて今の妻と結婚する際、病気がちだった母にいつも温かい励ましを下さったすばらしいひとりの恩師から特別なメッセージをいただきました。

私たち夫婦がその絆を深めていくに当たっての一生の指針となる本当にすばらしいメッセージです。以下に記します。


  「幸福で堅固な家庭を築くために」

円満で幸福な家庭(家)を築くにはどういうような材料を使うべきか深く考えなければなりません。

まず最初に家庭(家)の土台です。
何よりも土台を最も強くしなければなりません。

土台を堅固なものにするためには、「天を敬い、人を愛する心」あるいは「正義を愛し、人々の幸福を願う心」という材料が必要です。

家を丈夫に支えるために柱が気になります。
四本の柱を強くするために次のような材料が必要です。

北の柱は「誠心誠意」の材料、
南の柱は「尊敬」、
東の柱は「忍耐」、
そして西の柱は「陽気」の材料で建てるように。

屋根はどうでしょうか。
屋根は家全体を雨、雪、風から守る重要な役割を果たすものです。

家を厳重にかぶせる屋根の材料は「ふたりの抱いている純情な愛」で造らなければなりません。

次は天井です。
天井は「理解」の材料でなければなりません。

夫婦の絆を強くするための材料がいつも「理解」であるように。

次は壁です。
高級な材料を使ってしっかりとした壁を造ってもらいたいと思います。

しっかりとした壁に囲まれていたらいつも安心感を感じて楽しい毎日を過ごせます。

北の壁は「思いやり」の材料で造るように。
南の壁は「寛容」の材料、
東の壁は「譲り合い」の材料、
そして西の壁は「有意義で楽しいコミュニケーション」の材料です。

最後に床です。
床は年中踏み歩いて使っているので特別な長持ちのする材料で造らなければなりません。

床を「信頼」の材料で造れば間違いはありません。
床の上をいくら踏み歩いても「信頼」の材料より丈夫で安全なものはありません。

以上です。

……ひとつ肝心な事を忘れていました。
これらすべての材料は無料です。すなわちお金は要らないのです。

天の豊かな祝福がお二人の上にありますよう心よりお祈りいたします。(以上)


現実と理想は大抵かけ離れるもので、私たち夫婦も御多分に洩れませんが、このメッセージを度々読んでは、理想に少しでも近づけるように努力する毎日です。

あの微笑ましいオジーとオバーの夫婦に近づけるように……。


「杖をつく オジーとオバーが 手を取りて 登りゆく坂 絆深むる」

No.3 びっくり

2011/12/27(火) 17:55 - おぼえてない 組 佐久本盛明 ()
よしたか!いいな。なんか懐かしかった。ほんと五十二歳になってお互いりっぱなおじさんだけど、あんな青春があったよな。確かにあったよな。嬉し、恥ずかし、懐かしいをありがとう!
それから久嗣さん。情報ありがとう。噂は聞いていましたが、やっぱりそのCMあったんですね。その撮影場所は北中城村の安谷屋パークサイドというところです。我が家のすぐ側です。ある日撮影があるので通行止になっていたので間違いありません。さっそく今オーストラリアにいる宮崎あおいファンの息子にyoutube教えてあげます。ありがとう!!

No.2 高校3年間は本当に懐かしい最高の思い出です!

2011/12/15(木) 18:19 - 3年13 組 安里吉隆 ()
私の仕事の転勤に伴う息子の転校手続きの件で普天間高校の電話番号を調べていたら、このサイトに目が留まりました。一気に高校時代の懐かしい思い出が蘇ってきて、少し投稿しようということになりました。

高校時代の友人たちはみんな気持ちのいいやつばかりでした。高校生活3年間のクラスの仲間たちとの青春の思い出は、本当に数多く、私にとってそのひとつひとつが大切な宝物です。
私は普天間高校30期生ですが、3年13組のあのクラスで過ごした1年も、私の人生で最高のひとときのひとつでした。走馬燈のように蘇る多くの良き思い出がまさに凝縮された1年間です。

懐かしさついでに今日は良き青春の思い出、伝説の「3年13組の教室のペンキ塗り」物語を紹介します。

もう34年前の懐かしい数ある大切な思い出のひとコマです。

理科ビルの隣に建っていた私たちの校舎は、今ではもう新しい校舎になっていますが、当時はかなり古く、1階部分に4クラス、2階部分に同じく4クラスの2階建てになっていました。

何よりも大変だったのが、戸袋に潜んでいる数十匹のガジャン(蚊)。毎朝雨戸を開けるたびにその数十匹(夏場は百匹以上)のガジャン(蚊)が一斉に総攻撃を仕掛けるため、もうたまりません。

そこで気心知れた数人の男子生徒を招集し、共に作戦会議を開催。すったもんだの挙げ句、女子に内緒で(驚かせるため)教室全体のペンキを塗り直そうと決定しました。

密かに打診した男子生徒全員が、なんと二もなく賛成してくれたのです。涙が出そうになる位感動しました。

早速担任の平良善一先生と用務員のおじさんを通じ、校長先生に交渉。なぜかすんなり了承をいただき、用具とペンキを準備してもらいました。

5月中旬の土曜日と日曜日、男子生徒全員が朝早くから教室に集まり、にぎやかにペンキ塗りの決行です。

例の戸袋から雨戸や内壁、外壁、廊下の天井や柱まで一生懸命塗って新ピカピンです。

22人の元気有り余る男子生徒が力を合わせたものですから、2日間で3年13組の教室だけが全くの新築同様になりました。

翌月曜日の朝、女子生徒たちをはじめ先生方や全校生徒のあの驚きの顔を決して忘れません。

特に同じ校舎の他のクラスのみんなの驚きの顔は本当に最高でした!

ガジャン(蚊)もほとんどいなくなり、五月病の症状を呈する仲間も皆無でまさに快適な学校生活の再スタートです。

さらに、出し抜かれたと感じた他のクラスの全男子生徒が立ち上がり、それぞれにペンキ塗りを始めました。

6月末頃までには、学生だけでひとつの校舎のペンキ塗りを完成させ、リニューアルさせてしまったのです。

青春を謳歌するとはまさにこのことだと自ら納得し、すがすがしい気持ちで一杯でした。

同じ気持ちになれる友や仲間がいるということは本当にいいものです。

ペンキ塗りを提案したとき、みんなが心をひとつにしてくれなければ、決してあのようなことは起こりえなかったと思っています。

気持ちが分かり合える友達は本当に大切な宝物です。


卒業式を終えたクラスの分散会の時、私はオリジナルの曲を作りギターをつま弾きながらみんなに感謝を込めて歌いプレゼントしました。

以下に紹介しま~す。読んだ人、あの頃のこと思い出しますかね……嗚呼っ~青春時代最高!!


  「わがクラスいつまでも」

       1978年3月(高校3年の春)
        作詞・作曲 安里吉隆

1.暖かな日差しが 校庭を包み
  桜の花も ちらほら咲き出した
  屋根の上では 子猫がうたた寝をしてる
  とてものどかな 春の昼下がり
  なのに日向で語らう みんなの声が
  以前のようには 弾まない
  教室では 想い出作り 授業なんて上の空
  ああ 学生時代も もうあとわずか

2.共に過ごした日々が 一陣の風と
  肩を並べて 通り過ぎて行く
  数々の想い出が 走馬燈のように
  脳裏を 楽しく 悲しく駆けめぐる
  ラララ 服まで真っ白ペンキ塗り
  みんなで応援 陸上 *1
  ちょっぴり涙の 学園祭
  笑いだらけの クリ年会 *2
  ああ 青春の想い出を 宝石箱の中へ

  *1 校内陸上競技大会 
  *2 クラスのクリスマス&忘年会

3.たとえ ひとりびとりの歩む道が
  違ってて みんな 遠くに離れていても
  そして その道が長く 険しくて
  ひとり 涙を落としそうになったとき
  決してくじけちゃいけない ひとりじゃないさ
  みんなの心はひとつさ みんな気持ちのいい奴ばかり
  淋しさなんて 雲の上
  ああ わがクラス いついつまでも

  ラララ……………………………………

  ああ わがクラス いついつまでも


ここまで、書いたらあと1曲2年の時に作詞作曲して
毎朝ホームルームの時間にみんなで歌っていた歌も一挙
公開します。タイトルと内容は前曲同様ちょっと青くさい
ですが、16才の少年の作と思っておおらかな目でみて
やって下さい。タイトルは「歩もう僕らの青春」です。


   「歩もう僕らの青春」

普天間高校2年6組のクラスの歌

       1976年9月(高校2年の秋)
        作詞・作曲 安里吉隆


1.悲しみにふさぐ時 ひとりで泣くのはやめよう
  みんなの笑顔があって みんなの声が聞こえる
  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 手を取り合って
  歩もう歩もう 僕らの輝く青春を

2.嬉しさにはずむ時 分かち合おう喜びを
  みんなの愛があって みんなの瞳が輝く
  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 心を結び
  歩もう歩もう 僕らの輝く青春を

3.さあ みんなシオンに集い 固いひとつのスクラム組もう
  そして進もう 力の限り 僕らの星をめざして
  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
あなたと私の 肩よせ合って
歩もう限りない 僕らの輝く青春を

ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
あなたと私の 手を取り合って
歩もう歩もう 僕らの輝く青春を

歩もう限りない 僕らの輝く青春を


自分で書いていて少し恥ずかしくなっていますが、
まあ、たまにはいいでしょう。後輩たちが同じように
青春を謳歌するに当たり少しでも助けになれば幸いです。

また、このサイトのぞきに来ま~す。安里より


No.1 こんなサイトが出来てたんだ!?

2011/06/03(金) 18:13 - 忘却の彼方なり 組 玉城久嗣 ()
一仕事終えてボケ~っとあれこれ検索していたらここにたどり着いた。
どなたも投稿されていないようで寂しい限りです。みんな忙しい年代だからね。

最近earth music&ecologyのCMで宮崎あおいちゃんが坂道を自転車で走るシーンを見て、絶対にこの道を歩いたことがある!と確信し色々ググると北中城の三育小学校近くの坂道であることが判明!
我ながら30年以上前の記憶が即座によみがえったことにビックリ!

でも懐かしい風景だったなぁ

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